小樽運河が紡ぐ歴史的情景と魅力

紆余曲折を経て、全国的に有名な観光スポットとなった「小樽運河」。

その歴史と、周辺観光スポットをご紹介します。

◆ 小樽港の最盛期と小樽運河の誕生

明治時代から、北海道の玄関口として重要な役割を担ってきた小樽港。

当時は大型船を沖に泊め、艀(はしけ)と呼ばれる小型船を使って荷揚げをしていましたが、取り扱う荷量が増え、港の混雑が問題となっていきます。

 

混雑を解消する方法として、大型の船舶が直接接岸できる近代的な埠頭方式と、海面を埋め立てて艀が接岸できる距離を長くする運河方式の二つが提案されます。

様々な議論が繰り広げられ膠着状態ともなった計画は、初代小樽港湾事務局長を務めた木工工学者・廣井勇の助言の影響も受け、最終的に運河方式が採用されることになりました。

 

大正3年(1914年)に工事が着工され、約9年の歳月を経た大正12年(1923年)に「小樽運河」が完成しました。

一般的な運河は陸地を掘り割って造成されますが、「小樽運河」は小樽港の整備や埋め立て工事の一環として、海上に埋立地を造成して海岸をの間に水路を形成する方式を採用。海岸の沖合を埋め立てて築造されたため、緩やかに湾曲しているのが特徴となっています。

 

小樽運河の完成後、最盛期を迎えた小樽港では艀や大型船が活発に行き交う光景が見られ、商都・小樽の繁栄を支えていきました。

しかし、戦後の小樽港で埠頭の整備が行われ、船舶を埠頭に接岸させて荷物の積み下ろしを行う方式が主流となったことから、運河は短い期間でその役割を終えてしまいます。

◆ 役割を終えた小樽運河と保存運動

小樽港の衰退後、自動車の時代となった昭和41年(1966年)には、無用となった運河を全面的に埋め立てて、6車線の自動車道路(道道小樽臨港線)を建設する都市計画が決定されました。

 

同年には道路工事が進み、有幌地区にある倉庫群が次々と取り壊されていきます。

しかし、この光景を見て危機感を持った一部の市民が立ち上がり、小樽の象徴として残すべきだと「小樽運河を守る会」が結成され、小樽運河保存運動が開始されます。

 

その後、十数年にも及ぶ長い論争の末、結果的に道路も開通し運河も残すこととなり、昭和61年には運河の一部を埋め立てて、散策路等が整備された現在の姿へと生まれ変わりました。

この長きに渡る小樽運河保存運動は全国的に報道され、小樽の名が全国に広がったことから「小樽運河を見に行こう」と多くの観光客が訪れるようになりました。

 

小樽港の発展を支えた小樽運河は、小樽の歴史的建造物を守るまちづくり運動のきっかけとなり、現在の北海道を代表する観光スポットとして再び脚光を浴びるようになったのです。

◆ 小樽運河の現在と周辺の観光スポット

全長約1,140mにも渡る「小樽運河」は、運河に沿って石造倉庫や歴史的建造物が建ち並び、そのレトロな景観が人気な観光スポットとして、現在は多くの人が訪れます。

運河周辺に建ち並ぶ当時の倉庫群や、従来の港湾としての面影が残る「北運河」は、夜には小樽運河にある63基のガス灯を含めライトアップされる場所もあり、昼とはまた違った雰囲気を楽しめます。また、小樽運河と港を巡る運河クルーズも運航されている為、水上から間近にその魅力を見ることも出来ますよ。

他にも少し先へ歩くと、お土産店や飲食店が集う堺町通りや、当時の最先端の技術やデザインが施された歴史的建造物が数多く点在しています。

 

小樽の魅力と歴史が詰まった「小樽運河」。小樽へ来た際はぜひ一度訪れてみてください。

 

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